Cricketeが老犬・病犬の健康づくりにこだわる理由は、愛犬との出会いにまでさかのぼります。

最初の愛犬との出会い

 今から30年以上前、とある子との出会いがありました。保護施設で飼われていたその子は、まだ幼く、月年齢もはっきりしないまま、うちにやってきたのです。

 はじめの頃は、まだまだ人になれず、おそるおそる近づいてくるという様子でした。保護犬なのですが、施設に引き取られる前、親犬がどんなだったか、どんな環境で育ったかもよくわからない。

 でも、うちの子となったのだから、何ももうこわがらなくてもいいんだよ、と、かわいがってあげました。

市販のドッグフードでは

 このかわいがっていた子が病気になって、薬を飲むのがやっとの時期に、市販のドッグフードを与えましたが、口にはしてもらえませんでした。もう長くはない生命とわかっていても最後まで食べてほしいと願い、いろいろと探し回り、与えてみましたが、何一つとして口にはしてはもらえませんでした。日々弱っていく愛犬を前に、市販のものでだめなら、手作りで何か作ろうと考えたのが、その頃でした。

 その後、もう一匹の愛犬も病に冒されていることがわかり、二匹の世話をすることになって、数々の肉類、野菜などを加工して与えました。毎日毎日が試行錯誤の日々で、あっという間に一年が過ぎました。その間にも、愛犬たちの体調は悪くなるばかりで、焦っている自分を腹立たしくも思い、本物の愛情はあるのかと自問自答しておりました。

名古屋コーチンとの出会いとパウダー化

 そんなある日、薬をもらいにいった病院からの帰り道に、たまたま名古屋コーチンのイベントがありました。そこで、ひとかけらの名古屋コーチンの唐揚げの試作品をいただいて口にすると、肉に弾力があり、噛めば噛むほどに旨味が染み出し、飲み込むことが惜しくなるほどだったのです。「これだ!」と思いました。

 加工していない名古屋コーチンの肉を買い求め、ボイルしてひと晩寝かせて食べたら、前日より旨味が増しているのです。衝撃でした。

 さっそく、肉を潰してみたり、すり鉢で細かくしたりしました。

 結果、たどり着いたのは、パウダー状でした。うちの子が、調子の良いときはドッグフードにかけて、調子が思わしくないときは水に溶かしてシリンジで、与え続けました。

 その後、幾度となく改良を重ね続け、朝、晩、その方法で与え続け、ひどく調子を崩すことなく、最期は静かに虹の国へと旅立たせてあげることができました。その後ふたたび、とある保護施設から二匹をお預かりして、現在に至りますが、名古屋コーチンでないと、振り向きもしてくれません。いいもの、おいしいものを食べたいんだなと、名古屋コーチンばかり選ぶようになりました。

たどりついた石臼びきと肝いり

 今は、少しでも旨味を逃さないよう、石臼でパウダー状にすることにこだわっています。より細かくするために工夫を重ねてたどりつきました。Cricieteの製品は、殺菌のために高熱処理をしていますが、その加熱処理の後に一手間をかけることで香りがよみがえり、名古屋コーチンの良さが引き立つことがわかったのです。

 今の愛犬たちは、成犬の頃、食が細かったので、わたしの作ったふりかけやジャーキーが常食となっています。名古屋コーチンの肝中心のパウダーふりかけのおかげもあるのか、大きな病気をすることなく、今に至っております。肝は栄養が豊富で、ペットフードにはぴったりでした。

保護施設のご苦労の実態

 今、私と生活している犬たちもまた保護犬です。県内のとある保護施設から譲り受けました。引き取りの前にお邪魔したところ、施設の人はたったひとりでたくさんの犬のお世話をしてみえました。また、お世話の合間に、パートにも行ってみえて、忙しい毎日だと話してくださいました。なぜパートに?と理由をお伺いすると、犬たちの食事や治療など、お世話の費用がないからとのこと。朝早く起きて散歩や食事の世話。それから仕事に出かける毎日を休みなくおこなっているとのことでした。帰ってから病院とシャンプー、犬舎の掃除など、あっという間の1日だそうです。

 一年も経った頃、私が犬たちの様子を報告しようと電話したところ、その施設にはつながりませんでした。色々と手を尽くしましたが、一向に連絡は取れずにいました。着信だけを残したある日、ご本人からお電話があり、入院していたとのこと。早々にお会いしたところ、以前より随分痩せていらっしゃって驚きました。短い入院ではなく、手術もあり、長引いたとのことです。その間、犬たちは施設を運営されていたその方のご主人が有給を取って見てくれていたとのこと。それから二か月も経たないで、全く音信不通になったのです。

 保護施設の場所も、記憶はおぼろげでした。何しろ、うちの子たちは、私の自宅で譲り受けたものですから。以前の話を繋ぎ合わせながら、ご本人を探し歩き、ようやく施設に辿り着きましたが、もうご本人はいらっしゃいませんでした。病気が重く、別のところで療養中とのことでした。犬たちの命を守るために働き続け、動き続け、ご本人が倒れてしまったのです。

 あの時、もっと細かく話を聞いていれば、何かお役に立てたかもと、後悔の念でいっぱいになりました。寡黙な人だったから、誰にも辛いことは言わず、犬たちの命を守るために頑張っていらっしゃったのだと、涙が出てきました。

 「犬たちの命を真剣に守り、我が身を削っていらっしゃる人が多くみえる。私だけじゃないんです」といってみえた昔を思い出しました。

 最近、あの頃できなかったことをやりたいと強く思うようになりました。犬たちの命を、優しく、ゆとりをもって守ってくださるところが多くなりますようにと、この活動を行う決意をしたのです。

 美味しいものをより美味しく、そしていつまでも元気に過ごしてほしいと願いを込めて。Cricete はこだわりを持ち続けています。

商品開発と事業化の準備

 名古屋コーチンのふりかけがすっかりうちの子たちに定着し、元気になっていく姿を見て喜んでいましたが、申し上げましたように、保護施設の大変な状況に接して、段々、私の役割はこれだけで本当にいいのかなと思うようになりました。自分が数匹保護犬をひきとってあげてかわいがっていることだけで、保護犬の問題って解決するのだろうかと。

 もっと根本的な問題に手をつけるべきではないのか。でも自分でできることは限られているし、自分は犬の専門家でもないし...。思い悩み、ふとしたきっかけから、うちでつくりあげたオリジナルのドッグフードを事業化し、それによって保護犬をとりまく環境そのものを少しでも変えたいなと思うようになりました。

 そして、創業塾に通い、経営指導の専門家と相談しながら、事業開始の届出や商号登記、商品試作、ペットフード生産の届出、必要な設備・器具の調達、試作と分析・評価、名古屋コーチン協会への加盟、...やることだらけで大変でしたが、ともかく世の中の保護犬の現状を変えたい、その一心でした。

余談

 余談ですが、私は、趣味で日本画を描いています。時間があるときは絵を描いています。名古屋の展覧会や全国の絵画展に出品して賞もとっています。

 実は、私は小さい頃歩けませんでした。神経麻痺で歩行困難で幼稚園は全く行ってなく、小学校は母の背におんぶされて入学式に行きました。その頃は病院や自宅にいて外に遊びに行くことが出来ず、我流で絵を描いていました。

 中学生の頃当時の美術の先生が体育に参加できない私を見て、絵を基本から教えてくださいました。先生が亡くなってから、私は絵の評価を知るために展覧会に出品し、評価していただいてきました。先生みたいに褒めてもらえると嬉しいと、それ以来、展覧会に出品しつづけるようになっています。 

 でもそんな日々を重ねていくうちに、これでいいのかな、自分のために生きていくのもいいけれど、誰かの役に立ちたいな、と思うようになったのです。子どもたちを育て上げた後、新しく出会った愛犬との日々は、そんな私の内に秘めた思いを思い出させるものでした。

 最近は、趣味で描いた絵を無料でお譲りしています(とりにきていただくか、送料をご負担いただいた上で、絵の代金はいただいておりません)。

 もし絵にご興味があれば、お知らせください。

 今、私は幸せです。陽気に騒いでいた日々もやりがいはあったけれど、それとは全く違う、本当の幸せを感じています。せっかくであった名古屋コーチンの世界をもっと広げてあげたい。そんな思いも抱いています。

2024年 盛夏 名古屋にて

日下部 写真

Crickete 代表 日下部昌子